チラシの裏

このブログは同志社大学自主制作映画サークルF.B.I.の提供でお送りいたします。

退路は断たれた

これを書いてる11月25日はもう終わろうとしていて、これが読まれるのはもうEVE祭当日になってるのかな。





あ、、、あらためまして、はじめまして、こんばんは、会長の坂井です。





さてチラシの裏ということなんでって感じではりきって書きたかったのですけど、こんなブログあったよねって感じで初めてかくんですよね。






まぁ、最近はまってることとか書くんですか?今更ながらコールオブデューティを狂ったようにやり続けてる以外特段ないねんなー。





な、の、で、EVE祭のたのしむしか、わたしには残ってないのだ

毎年、FBIの宣伝もせず上映会場にこもっていた僕はもういない、コスプレするし、楽しむからイブ祭

あ、あ、眠い。もうかくんやだ





26日から28日は弘風館35教室から我がFBIのEVE祭上映会を行います。今年製作された作品すべて公開されます。みなさん奮って、ご来場ください。





今の時分、僕の周りでは編集をする者、装飾をつくっている者、寝ている者、遊んでいる者が、いつもように取り囲んでいます。



なんか今年涼しくね?

はろーえぶりわん。
涼しいいっても去年までが猛烈な暑さなだけで、今年もちゃっかり猛暑日記録してるよね。
お久しぶりです。このブログ、前の更新から約5カ月たっています。

いまF.B.I.では公式作品を撮影しています。
しかし私は諸事情(バイトとかバイトとかバイト)で全く参加してないんですよね。
会議にも参加してないですから、タイトルくらいしか知らんとです。
こんな私が説明してもしゃーないですし、
公式については参加している人がこのブログを更新することを祈ってます。
誰か書いてね。

そしてあと一週間くらいで!夏合宿が!始まるよ!
私としては久しぶりにサークル員に会うのですごく楽しみですね〜。
合宿終わったら感想か何か書こうと思います。たぶん。

以上、この夏はトランスフォーマーが熱いスズキがお届けしました。
まだ公開してるしぜひ映画館へ!!



正井啓介のアプリオリな超越論的フィンチャー論

どうも。

みんなBOXで、「一回生が来ないかなー。来たらアメちゃんあげるのにー」と言っているのを、その通りだな。と思いながら一回生のような学生生活を送っている四回生です。

今日は絶賛好評の第二弾。

アプリオリな超越論的フィンチャー

です。

まあ哲学の授業を真剣に受けていて、残った言葉をもじりました。
特に意味はないです。あるかも。

このサークルの花見で、UCLAからの留学生と話して、まあ彼は映画専攻なんですけど、そいつは、今アメリカの映画学生が3パターンに分かれている、と冗談まじりの笑顔で僕たちに提示してきました。ほほう、そうなのかと。
その3パターンというのは、

・クリストファーノーラン好き
・デビッドフィンチャー好き

らしいですわ。このブログを読んでいる人は、ほとんどノーランの名前ぐらいしか聞いたことがないでしょう。『メメント』(2000)『ダークナイト』(2008)の監督とかやってました。んじゃが、他の二人は、一般人からすると距離感が!距離感がある!
そこで、この3パターンをわかりやすく文系サブカル学生の枠に落とし込みます。

・ノーラン好き は フィクション小説好き
フィンチャー好き は ノンフィクション小説好き
コーエン兄弟好き は 哲学マニア

ああ〜なるほど。と。この3人のうち誰とも共感できないわ。と。
この3パターンは、UCLAの人が適当に薄ら笑いしながら言っただけで、SDSUの正井からすれば、他にも潮流が実はあるのだ!

・ウェスアンダーソン好き は くそおしゃれ番長
・デビットリンチ好き は 森ガールまたは寝癖オタク
・テリーギリアム好き は ラテンもさ野郎

まあ、この6つぐらいでしょうね。

僕はフィンチャーとコーエンが好きな訳で。
今日はフィンチャーについて書く訳で。
イントロ終わり。


構造主義という言葉がありますね。映画でも言うことが出来ます。アルフレッドヒッチコックがそれをやり始めたというのは有名ですね。『サイコ』(1960)とか『鳥』(1963)を見たらわかるけど、全てのシーン、ショット、カッティングが対比構造、同格構造で成り立っていて、それぞれを比べることによって、その意味合いがわかってくるという映画構造になっておるの。
マーティンスコセッシという監督もいまして、『ケープフィアー』(1991)のようにヒッチコック演出をバンバン引用し、彼がヒッチコックファンであるというのはよくわかる事で、『グッドフェローズ』(1990)の長回しとかで、構造主義の影響を感じる事が出来ますね。

で、このスコセッシの血を勝手に引いているのが、フィンチャーという訳だ!

David Fincher

彼の映画はバッドエンドばかりだと言われております。それについて、本人は、「現実にハッピーエンドなんてない。大抵何も起こらずに終わるか、最悪の結末を迎えるか。映画は人間を映し出すものだとしたら、徹底したリアリズムであるべきだ。」とか言いました。
こいつはファッキン野郎ですな。夢を求めて、娯楽を求めて、映画館に来た人に現実の痛々しさを見せつけるとは!
しかもストーリーだけがリアルな訳ではないんですよね。
カメラと観客の距離感というのがあるのですが、この監督の求める映像は常にこの距離感が同じ。全然世界に入り込ませてもくれないし、俯瞰でも見せてくれない。ただただ、観客を当事者にするだけ。なんやねんこいつは!
この変な固定されたカメラのせいで、なんのごまかしもきかない。彼の作るカメラ内の世界は完璧。
『ゾディアック』(2007)の舞台は60年代サンフランシスコの新聞社。当然、編集室のあちこちに新聞が積まれておるが、それは全部当時のものを完全に再現してある新聞。しかも、設定の日付の新聞で、中身を開けば、全ページそっくりそのままそのもの。画面の端っこにしか映らないのに!画面の端っこで積まれているだけなのに!
そう、彼はまたの名を「完璧主義者」。
完璧主義者で知られる監督はたくさんいるよね。ジェームズキャメロン、『キングダムオブへブン』以前のリドリースコット、スタンリーキューブリックなど。
でも、こいつは何かが違う。
『ベンジャミン・バトン』(2008)のオープニングの逆再生戦闘シーンの撮影を30テイク!
『ゾディアック』の漫画の本を助手席シートに落とすワンカットを撮るだけに半日!
名言「
Part of my testiness is that I feel I make fifty compromises a day. When people come to me to say 'Why can't you compromise?' I'm like: 'What are you talking about? The fact that we're having this conversation means that we've compromised'.
訳「いらいらするのは、毎日に50回は妥協しとるから。みんなが聞くのは『なんで妥協できないんですか?』返すのは『は?何言ってんの?お前がこうやって聞きに来とる事自体が妥協の結果やねん。」



ちょっと長くなりすぎましたかね。。。
なんか全然結論まで到達してない気が。
いやー、文章って簡単に書くの難しいもんですね。

じゃあ、次回は、「嫌われたウィルスミス」の回でお会いしましょう。