チラシの裏

このブログは同志社大学自主制作映画サークルF.B.I.の提供でお送りいたします。

パクチャヌクという監督

最新作『お嬢さん』みてきました。

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この人の映画を見ていつも思うことはこいつ変態やなということと人間に期待せずにはいられない人なんだということ。

前者についてはここでいろいろ書くよりも実際に見ていただいた方がよさそうです。

よく言えば完璧主義、悪く言えば偏執症。そんなイメージ。この人にとっては偏執症の方が褒め言葉になるかもしれません。

後者が最もよく表れているのが代表作でもある『オールドボーイ』を含んだ復讐三部作と言われるトリロジー。

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文字通り三作とも復讐をテーマにした作品なのですが、その三作を通して復讐を遂行する人たちの全てが「いいやつ」でありそして一作品に複数人いること。

「いいやつ」といっても聖人的な話ではなく完璧に悪人ではないということです。

もちろん、性善説的な二元論ではありません。むしろこの人の映画には完璧な悪い奴がうじゃうじゃ出てきます。

また復讐者を複数人描くことで僕たちは復讐という行為の善悪論から解放されます。復讐者が復讐の対象になり、加害者が復讐に加担する。善悪のラインは簡単に崩れる。簡単に崩れるからこそこの人にとって重要なのは復讐の善悪じゃない。

三部作での復讐者たちは例外なく何かを初めから失っています。音、財産、愛。それでも彼らは「いいやつ」として生きてきた。彼らはさらに失うことになる。自分を「いいやつ」として繋ぎ止めているはずであったものを。復讐者となり人間性を失い冷酷な犯行を行っていく。

じゃあ、全てを失えば「いいやつ」は冷酷な復讐者になれるのか

おそらくこのことが一番重要だと思います。

彼らのうちの誰一人として完璧な悪人にはなれません。結局彼らは「いいやつ」だったんです。すべてを奪われて冷酷な復讐者になると決意してなお「いいやつ」のまま。

人間のすべてがそうではない。完璧な悪人だって大量に存在する。でも、何人かは呆れるほどに「いいやつ」のはず。このひとはそう期待しているのかもしれません。

色々書きましたが全部僕の勝手な妄想です。駄文、拙文、長文失礼しました。

呆れるほどに善きものたちへ

復讐者に憐れみを

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                                文責:宮本