ゾッとする映画3選(邦画編)
最近、暑くなってきましたね。
こんなときは、ゾッとする映画を観て涼しくなりたい…
そう思いませんか?
思うでしょ?
というわけで、今回は私が今まで観てきた映画の中で選りすぐりのゾッとする作品を紹介したいと思います。洋画も含めると文量が半端なくなるので、ひとまず紹介するのは邦画のみ、さらに3作品のみとします。
1.ヒメアノ~ル(※R15です。)
監督:吉田恵輔(「さんかく」、「純喫茶磯辺」)公開年:2016年
あの「学校へ行こう」でお馴染みのV6の森田剛さんが主演のクライム映画です。(森田さんと言ったら、『喰いタン』にも出てましたね~)森田さんは、非情な殺人鬼の役をやってるんですが、これが本当不快です。(褒めてます)何というか表情やら姿勢やら全てにおいてただならぬ雰囲気を醸し出しています。身近にいたら絶対近寄りたくねえという感じです。これは森田さんが今まで舞台で鍛え上げた演技力の成果なんですかね。
後、もう一人の主役として濱田岳さんが出てくるんですが、こいつがもう情けない。ただ、その情けなさが味があって良いんです。某ライムスターも言っていましたが目の演技がすごいんですよ。目だけで情けなさを出してるんですね。で、もう一人、欠かせないのがヒロインの佐津川愛美さんです。もう可愛いのなんのその。吉田監督と言ったら「さんかく」でもそうでしたが、女性の撮り方がとにかく上手いんですよ。この作品の同時期に「貞子VS伽椰子」という映画が公開されて、これにも佐津川さんは出ておられたんですが、脇役なのもあるのですが、あんまし可愛く撮れてなくこの作品とは雲泥の差でした。
脱線はさておき、この『ヒメアノ~ル』は本当ゾッとしたい方にはおすすめの作品です。本当に森田剛の演技力のなす殺人鬼のリアリティというか存在感は圧倒的で、幽霊なんかより狂った人間の方が怖いんだなと思い知らされました。(観た後一人暮らしの人は不安になるかもしれません。)だって、幽霊と違ってもしかしたら、身近にいるかもしれないんですよ。怖い!
【予告】
2.トリハダ 劇場版
監督:三木康一郎(「のぞきめ」、「植物図鑑」)公開年:2012年
これも「ヒメアノ~ル」と同じで日常に潜む狂気を描いた作品(オムニバス)です。元は短編ドラマなので、そちらを先に観てみるのも良いでしょう。この作品はドラマもそうなのですが結局一番怖いのは人間なんやで~ということを視聴者に伝えようとしています。なので、心霊現象などは一切無しで作品内の恐怖の対象は全て人間です。そして、少々ツッコミどころはありますが、作品の内容はリアルであり得る話ばかりです。だから、観てる内に私たちは自然と、こんなこと実際あったらやだな、と思うようになります。(ストーカーの話が個人的にやばかったです。)監督の代表作で観るのが不安になってる方もおられると思いますが、この『トリハダ 劇場版』は普通に出来が良いので、是非一回観て欲しいです。後、売れる前の古川雄輝さんも出てるんで、ファンの方は是非見てください。
【予告】
3.パーフェクトブルー(※R15です。)
監督:今敏(「パプリカ」、「千年女優」、「東京ゴッドファーザーズ」)
公開年:1997年 出演:岩男潤子(エヴァの委員長)、松本梨香(ポケモンのサトシ)
最後はアニメ―ション作品です。この作品も人間の狂気を描いています。人気アイドルだった主人公ミマはある日、自分の夢のために女優に転向するも、鳴かず飛ばず、そして、「アイドル時代の彼女」の熱狂的ファンだった男がストーカーを始めて…というのが大体のあらすじなのですが、アニメーションならではの表現技法で人間の狂気や精神の不安定さを見事に描いています。(「ブラックスワン」で演出がオマージュされていました。)中でもその演出がヒートアップしてくる後半は90年代後半の絵柄の不気味さも相まってもう本当にすごくてゾッとしまくりです。内容もサスペンスとしてよくできているし、皆さんに一度観て欲しい作品です。ただ、ちょいぐろなので、そういうの苦手な方にはおすすめしません。
【予告】
パーフェクトブルー 予告 / Perfect Blue Trailer - YouTube
いかがだったでしょうか。私、文章の才能がないというか脱線が多いので、長文やのに、結局何が伝えたいのかがわけわからへんわ!と思う方も多々おられるかもしれません。ってか絶対おられるでしょう。ただ、作品をおすすめしたい、というその熱量は確かです。是非暇なときや、ゾッとして暑さを吹き飛ばしたいとき上記の作品を観てみてはどうでしょうか。
※この記事内の画像の著作権は全て著作者に帰属します。
(文責 F.B.I.3回中川)
エルファニングの魅惑とマイクミルズ監督作『20センチュリーウーマン』
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今日は入学式。
僕の時まではビラシャワーと言って入学式のある田辺のキャンパスに行くと校門から会場となるところまでの道のりの両脇にロープが張られていてその両脇から大勢の馬鹿どもが各サークルの新歓ビラを新入生に押し付けて行くイベントがあったのですが、残されるゴミの問題で去年からなくなりました。あゝ、ビラシャワー無くなったの悲しいなあ、なんて会話ももう一年前になるんですね。
僕はビラシャワーではF.B.I.からチラシをもらいませんでしたが、結局3回生になってもここで漫然としていますから、皆さんも問題なくF.B.I.に辿り着かれますように。
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洋画が日本で公開される時、国内の配給会社により題名やポスター、予告編などが改変される。日本語で説明的なキャッチコピーが入り、シンプルな写真のポスターがいくつもレイヤーの重なったうるさいゴミと化し、予告編には大量の文字情報。そして、批判の対象となる。「あー、またどこどこが作品の世界観をぶち壊してるう」
例えば、マシューマコノヒー、ジャレットレト両者絶好調の『ダラスバイヤーズクラブ』で知られる監督ジャン=マルク・ヴァレの新作"Demolition"(demolition:取り壊し)は『雨の日は会えない、晴れた日は君を思う』となる。
『雨の日は会えない、晴れた日は君を思う』
ところがね。最近、映画館でびっくりしたんよ。日本で作られた予告編が本国で作られた予告編を超えてめちゃくちゃ良い。
それが『20センチュリーウーマン』
30秒で伝わるそのキレはとんでもないんですよね。
これが参照している本国ver.は2分あります。
とにかくこのエルファニングの紹介が素晴らしい。
本国ver.
正直、日本版見た後だと、本国ver.がザコい。
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エル・ファニングに添い寝されながら「セックスすれば友情は終わるわ。今のままの関係がいいの」と言われる少年の味わう地獄に最も共感してしまった「20センチュリー・ウーマン」…
— 宇野維正 (@uno_kore) 2017年3月28日
関係者向けの試写会が先日あったようで、このツイートで僕はこれは傑作と判断した。
マイク・ミルズが本作の監督。ちょいと説明する。
『サムサッカー』と『人生はビギナーズ』しか観たことはないですが、デザイナー出身の彼の作品は独自の美学で映像が支配されていることが印象的。
多用されるスローモーションなどを取り上げていけば、『天才マックスの世界』(1999)で知られるウェスアンダーソンのフォロワーとも言える。物語も思春期だったりなよっとしているところで家族に立ち返ってよくわかんない解決を得るというウェス的ストーリーテリングが展開されてる。
後、即物的なインサートも多用される。
(20センチュリーウーマンより)
「一般的な白人家庭」に生まれた自身の体験を寓話的に物語ってゆくのが毎回のようで。
『人生はビギナーズ』が同性愛者であった自身の父親について語っていたのに対し、『20センチュリーウーマン』は母親についての映画とされている。
でも、結局を言えば、『サムサッカー』にしても『人生はビギナーズ』も主人公は息子、『20センチュリーウーマン』もそんな感じのようで、家族の中での自分自身について語り続いているおじさん。
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つまり、『20センチュリーウーマン』がめっちゃ楽しみなんすよ、て話がしたいんだが、一切その熱が伝わっている気がしない。ので、最後、いかに出演しているエルファニングが素敵かをご覧いただいて終了する。
ちなみに公開は6月3日まだまだ先で申し訳ない。
やるな、おじさん
文責 せんだ
『処女の泉』と『奇跡の海』※ネタバレしてます
先学期の授業でイングマール・ベルイマン監督の『処女の泉』という映画を観ました。
この映画を見たときに思い出したのがラース・フォン・トリアー監督の『奇跡の海』
両作品とも幸せだった敬虔なクリスチャンである主人公が蹂躙されて死んでしまうんだけど最後には少しの救いがあるよっていうお話です。
そこに両監督のキリスト教や教会に対する考え方みたいなものが表れています。
主人公を蹂躙するものと昇華するものの二つに分けて書いていきます。
主人公を蹂躙するもの
『処女の泉』で主人公を蹂躙するのは召使と三人の男です。
美しい主人公に嫉妬した召使は主人公に不幸が訪れるようにと呪いをかけます。この主人公は劇中で異教徒信者として描かれています。
また、主人公を強姦して殺してしまう三人の男は山羊を連れています。
山羊はキリスト教における悪魔の象徴。つまり異教徒と悪魔により主人公は蹂躙されます。
では、『奇跡の海』ではどうなのか。
主人公を蹂躙するのは彼女の村の人々と彼女自身の信仰です。
彼女は敬虔なクリスチャンの村に住む人間ではない外の人間と結婚します。それをよしとしない村の人々は彼女に冷たく当たり、両親でさえ最後には彼女を見捨てます。
さらに出稼ぎに出た愛する夫を返してほしいと祈った直後に夫が事故に遭い不随になってしまったことから自らを責めることになります。
教会と信仰心が彼女を追い詰めていきます。
主人公を昇華するもの
両作品とも主人公は最終的に悲劇的な死を遂げます。
それを救い昇華させるものも対照的に描かれています。
『処女の泉』では主人公が倒れた場所に泉が湧き出ます。
聖母マリアの現れたルルドの泉を連想させる描写は敬虔な信者である彼女を聖的なものへと昇華させるよう。
対して『奇跡の海』では教会から追放され葬儀すら行ってもらえなかった主人公を弔うのは外の者である彼女の夫です。
つまり異教徒的存在により彼女は昇華されます。
対照的な宗教観。面白いです。
駄文、長文、拙文、失礼しました。
『処女の泉』と『奇跡の海』、関心を持っていただけたら幸いです。
文責:宮本
パクチャヌクという監督
最新作『お嬢さん』みてきました。
この人の映画を見ていつも思うことはこいつ変態やなということと人間に期待せずにはいられない人なんだということ。
前者についてはここでいろいろ書くよりも実際に見ていただいた方がよさそうです。
よく言えば完璧主義、悪く言えば偏執症。そんなイメージ。この人にとっては偏執症の方が褒め言葉になるかもしれません。
後者が最もよく表れているのが代表作でもある『オールドボーイ』を含んだ復讐三部作と言われるトリロジー。
文字通り三作とも復讐をテーマにした作品なのですが、その三作を通して復讐を遂行する人たちの全てが「いいやつ」でありそして一作品に複数人いること。
「いいやつ」といっても聖人的な話ではなく完璧に悪人ではないということです。
もちろん、性善説的な二元論ではありません。むしろこの人の映画には完璧な悪い奴がうじゃうじゃ出てきます。
また復讐者を複数人描くことで僕たちは復讐という行為の善悪論から解放されます。復讐者が復讐の対象になり、加害者が復讐に加担する。善悪のラインは簡単に崩れる。簡単に崩れるからこそこの人にとって重要なのは復讐の善悪じゃない。
三部作での復讐者たちは例外なく何かを初めから失っています。音、財産、愛。それでも彼らは「いいやつ」として生きてきた。彼らはさらに失うことになる。自分を「いいやつ」として繋ぎ止めているはずであったものを。復讐者となり人間性を失い冷酷な犯行を行っていく。
じゃあ、全てを失えば「いいやつ」は冷酷な復讐者になれるのか
おそらくこのことが一番重要だと思います。
彼らのうちの誰一人として完璧な悪人にはなれません。結局彼らは「いいやつ」だったんです。すべてを奪われて冷酷な復讐者になると決意してなお「いいやつ」のまま。
人間のすべてがそうではない。完璧な悪人だって大量に存在する。でも、何人かは呆れるほどに「いいやつ」のはず。このひとはそう期待しているのかもしれません。
色々書きましたが全部僕の勝手な妄想です。駄文、拙文、長文失礼しました。
呆れるほどに善きものたちへ
文責:宮本